平和祈念館の整備【政策】

掲載日:2025.03.30


東京都は先の戦争において空襲被害を受け、特に1945年3月10日の大空襲では一晩で10万人以上の方が亡くなることとなりました。

東京都は3月10日を「平和の日」と条例で定め、毎年記念式典を開催しています。西沢けいたは「平和の日記念行事企画検討委員会」の委員を務めています。

広島、長崎、沖縄など、傷跡が色濃く残る自治体には記念館や資料館など、「過ちを繰り返さない」ため、後世に資料を残す取り組みなどをしています。しかし、東京都の平和祈念館構想は1999年に凍結されたままとなっています。当時の保守的な議員らが「自虐史観に基づいた祈念館の建設に反対」をしたため凍結されてしまいました。

祈念館整備に一歩踏み出すべき、という私の質問に東京都は、「都議会での一定の審議と合意が必要」と答弁しました。(3/14読売新聞朝刊掲載)

都議会の合意に加え、東京都自らが踏み出すよう引き続き働きかけていきたいと考えています。

 

この平和祈念館の建設を進めていた当時、祈念館で公開する予定だった資料が沢山あります。その中には空襲などの体験を映像におさめた貴重な資料が330名分あります。しかしこれらの貴重な資料は平和祈念館での公開を前提として同意を得ていたため、平和祈念館の建設が凍結され、この20年以上倉庫に眠っていたままでした。

これは証言映像に出演いただいた方の意志と私は反するものだと感じます。同意を取り直し、平和の日の記念行事など様々な場で公開をしていくべきと働きかけてきましたが、ようやく現在178名の方の同意を取り直してきたとのことです。既に他界されている方もいらっしゃいますし、皆様ご年配ですからご自宅を訪問するなど丁寧な対応を求めました。

私の祖父も戦争体験者で、陸軍の将校であったことが分かっています。「おじいちゃんは軍隊にいて満州にいたんだよ」と幼少期から思春期によく話してくれましたが、当時は“退屈な話”だったと記憶しています。既に他界した祖父から、平和を考えるにあたり話をもっと聞いておきたかったと後悔している私にとり、証言映像の公開はこだわりたい課題です。

来年度以降、リニューアル後の江戸東京博物館にて常時視聴できることを決めているとの答弁があったことを付け加えておきます。