能登の被災地に行ってきました

掲載日:2024.09.03


能登半島地震から8か月、被災地域となった七尾市及び輪島市を中心に連合中野の皆様と一緒に行かせていただきました。

18クールのボランティア派遣を行ってきた連合さんを通じて和倉温泉旅館協同組合の理事長さんや輪島市社会福祉協議会の事務局長さんからお話を聞く機会をいただきました。

金沢駅からレンタカーで向かったのですが、未だに道路が隆起しており、車が揺れて通常通り通行ができず、ナビの予定時間通りに進むことができませんでした。こうした道路が被災地への限られた手段ということも被害や復興に大きな影響があったとうなずけるものでした。

また、倒壊したまま、ブルーシートをかけたままのご自宅も未だに多くありました。(プライバシーの観点から写真は画質をあえて荒くしております)。金沢市内などへ避難されている方との連絡など、時間がかかるケースが多くあるとのことでこれも東京都は状況が違うものかと思います。

和倉温泉では沿岸部が液状化し建物の損傷が大きく、およそ21件の旅館のうち営業ができているのは小規模な旅館の3件ほどで、ボランティアの方々の宿泊を除いて一般の営業が未だにできていない状況を聞かせていただきました。
復興のためのインフラは電気や水道などは復旧しているものの、防波堤の整備、従業員の雇用のための調整金など、営業できるまでまだまだ不確定要素が多い現状のようです。

能登食祭市場はたまたま24時間テレビの生放送があり、復興に向けた機運をメディアも上げようとしている様子が伺えました。

輪島市では台風の影響でボランティアは中止となっておりましたが、たすけあいセンターの事業を直接伺うことが出来ました。

写真のセンター事務所のハウスは無償で事業者さんから貸してもらってることや、トラックも神戸の事業者、横浜の自動車販売会社さんの車や無償でトイレを借りれる体制、さらにこの土地が地域の複合スーパーの敷地でこちらも無償で借りれてるなど、まさに助け合いの状況を目の当たりにしました。

ボランティア参加者の中で「技術ボランティア」の存在の大きさなどは重要と感じました。ドアが曲がり鍵がかけられないので家を空けられない家庭だったり、がれきが撤去できない道など、重機を扱えるボランティアさんが沢山お越しになったようです。こうした「技術ボランティア」の方々に対しては、「本当に任せていいのか」、「事故の責任はどうするか」などの不安がつきものです。

実際、信じられないことに“火事場泥棒”が多発したようですが、東日本大震災以降にこうした「技術ボランティア」の団体同士のつながりが生まれ、安心してボランティアしていただいているという状況だったそうです。
こうした取り組みは大変学ばせていただきました。

 

いつ発災してもおかしくない、首都直下地震、東京都も防災への取り組みは常に進めておりますが、日々進化が必要です。
私も学ばせていただいたことを都議会でも取り上げて生命、身体、財産を守る取り組みをしていきたいと思います。